C言語およびUNIXの父、デニス・リッチー死去 ― 享年70歳
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オレラの聖書「K&Rプログラミング言語C 」のRさんの方っすなぁ...
亡くなられたんじゃねぇ...びっくりしたわ
C言語&直系子孫言語が,ここまで主流になるとは,K&Rさんも,思わなかったろうて?
オイラもここ半年
-
C言語
VC++
C#
PHP
JAVA
C言語系ばかりじゃなぁ...
こりゃ,コンピュータの業界に,偉大な功績を残したはず...
ご冥福を...
C言語およびUNIXの父、デニス・リッチー死去 ― 享年70歳
UNIXの父であり周囲の尊敬を集めたコンピュータサイエンティストのデニス・リッチーが、しばらくの闘病を経て先週亡くなっていたことがわかった。享年70歳だった。 リッチー(dmrと呼ばれることもある)は、プログラミング言語のひとつであるC言語を生み出したこと、そしてケン・トンプソンとともにUNIXを創りだしたことで世界中にその名を知られている。リッチーはキャリアのほとんどをベル研究所で過ごした。彼が加わった1967年当時はアメリカで最も巨大な電話回線提供社であり、かつ最も有名な研究所のひとつを運営する大企業であった。 60年代後半にトンプソン(彼はCの前進であるB言語を生み出した)とベルで働いているとき、訪れようとしていたミニコンピュータ時代をにらみ、より効率的なオペレーティングシステムを開発しようと思い立った。二人を中心としたこの作業は、1971年のUNIXへと繋がっていった(DEC PDP-11の上で動作した) UNIXは安価で、かつさまざまなマシンを動作対象として想定してはいた。いったん動作させることができれば、その上にさまざまなソフトウェアシステムを載せることができるようになっていた。しかしOSがマシン語(アセンブリ言語)で記述されていたため、移植性も低く、またメモリの取り扱いにも苦労することとなった。 そこでリッチーとトンプソンは、C言語のシンタックスを発展させつつ機能を増やし、ついにはOSを記述できるところまでに性能をあげていった。そして1973年までにはついに、UNIXをCで書き換えてしまったのだ。カーネル部分は同年中に公開された。 今日、C言語は依然として2番目にポピュラーな言語として世界中で使われている(ないし、これまでに記述されたコード量としては第2位につけている)。そしてC++やJavaにさまざまな考え方が引き継がれていった。またUNIXについての二人の仕事は、たとえばLinux TorvaldsのLinuxなどにも引き継がれていった。このUNIXの仕事だけでも、リッチーは現代でもっとも重要なエンジニアのひとりとして位置づけられるべきだろう。 実際、UNIX関連の仕事により1983年にはケン・トンプソンとともに、チューリング賞を受賞している。また1998年には当時の大統領であるビル・クリントンからアメリカ国家技術賞を受け取っている。 |
YAHOO |
就職して最初の仕事は、某メーカーのミニコン用C言語の開発でした。
なのでK&Rプログラミング言語Cは設計書代わりでした(いやマジで)
ジョブズ氏に引き続いての偉人の他界は、新しいアーキテクトの創造を
迫られてる気がするのは考えすぎでしょうか・・・
>>康ちゃん@まったり~ さま
オイラは,就職して初めての仕事は,某日立製作所にて
C言語を使って,BASIC言語を作ってましたっす
オイラも手元に持ってたなぁ...K&R
いやまじで,経典じゃじ
新しいアーキテクト...
オイラが,作るかっ!(爆
え~っと、もしかして使ってたマシンが2050GとかHIDIC、HITACシリーズだったりすると、そのC言語の一部は私が作ったものです(滝汗
>>康ちゃん@まったり~ さま
2050使って,3050用のBASIC作成作ってましたわぁ~ん
いや,2050,テゲナツカシス(汗